私の悩み=お金の悩み
はじめまして。突然ですが、お金の悩みに関するブログを始めようと思います。
私の名前は、ゴールドパンプキンです。はてなブログの読者さんは、頭の良い方が多いので、もう気づかれた方もいらっしゃると思いますが、本名ではなく仮名です。
私の悩み≒お金の悩み
この頃ふと思いました。
私の悩みって、基本お金の悩みでしかない。
世の中お金がすべてじゃないと言います。
その通りかもしれないけれど、少なくとも私の場合、お金があったら、問題はみんな解決してしまいそうです。
悩みその1 以上に疲れている。好きなだけ寝ていたい。
なんか私、最近疲れてます。出来ればもう好きなだけ寝ていたいです。ところがです。こんな簡単なことができません。なぜならば、働かないと露頭に迷ってしまうからです。
ところがどうでしょう。もしもお金が潤沢にあれば、いくらでも寝ていられます。場合によっては1年ぐらい寝ていてもいいでしょう。多分飽きると思います。死ぬまでに一度は飽きるまで寝てみたいものです。
お金さえあれば、私のこのささやかな願いも、きっと叶えられるでしょう。
悩みその2 自分の家に住みたい。
私は、働き出して早、10数年が経とうとしています。その間ずっと賃貸暮らし。全くもってうだつのあがらない人生です。何度も勢いで、ローンを組んで家を買おうかと思いました。
でももしも、そうやって家を買ってしまったら、もう残りの人生死ぬまで働き続けないとだめな計算です。それは無理だと思いました。
もうちょっと稼げてさえいれば、こんなクソみたいな悩み、瞬速で解決です。
悩みその3 うんこをするだけで金がかかる。
いっそ、お金なんかなくても生活できるようになりたいと、自給自足に憧れたりもしました。ど田舎に安い土地を探して畑でもやって生きて行こう。そんなふうに思ったこともありました。
面倒くさがりな私ですが、その時は結構真剣に土地を探し、どうにか買えそうな予算の土地を見つけることができました。ここに畑と家を作れば、もう金なんかなくたって、生きていける。
本気でそう思っていました。でもそうではありませんでした。毎年の固定資産税。自分の土地なのに毎年お金がかかる。こんなもん、実質賃貸じゃないかと思いました。
それだけでは済みません。家を建てたら家にも固定資産税がかかります。さらに、田舎だったので、下水道もなく、合併浄化槽が必要だそうです。合併浄化槽を設置すれば、毎年の点検だの何だので数万円。どうやらこの国では、金のない奴には、うんこすらする資格がないようです。
食べ物を買うのにお金がかかり、うんこをするのにもお金がかかる。それがこの世の中の仕組みだったのです。
食べ物完全に自給したって、お金がなければ生きていけない。自分の土地を維持することすらできないという現実に、私は打ちのめされました。
そうだ、お金稼ごう
私は思いました。これはもう稼ぐしかないと。これから修行を積んで、一切食べ物を食べなくても、うんこをしなくても生きていけるようになったとしても、法律が変わって、息を吸うのに税金がかかる様になってしまったらおしまいです。
自分は多分、息をしないで生きていけるレベルにまで到達できる人間ではないと思います。というか、それよりも普通にお金を稼ぐほうが、はるかに簡単な気がしてきました。
そうだ、お金稼ごう。
お金を稼ぐ事=正義
なんだかんだ、お金を稼ぐということに対して、罪悪感にも似た気持ちを持っていました。これは何なんだろう?どこで刷り込まれたものなんだろう?
そんなことをぼんやり考えている時、ふと思い出したことがありました。学校の教科書、国語の授業です。
「ジョイヤサー。ジョイヤサー。」
そんな物語を国語の授業で何度も朗読させられました。この話、貧しい正直者のおじいさんおばあさんが、なぜか動くはずもない地蔵に食べ物を恵んでもらうという、現実世界では起こりえないファンタジーものでした。
あの物語は一体何が言いたかったのでしょうか。「貧しくとも正直に生きていれば報われる。」という大ウソを宣伝するためのステマだったのでしょうか。
現実世界では、地蔵は動きません。これは絶対です。おじさんは、年の瀬に、わらで傘を作って持っていきましたが、全く売れずに帰ってきました。
物語の中ならばそれでも良いかもしれませんが、現実の世界では、ただのアホです。
雨や雪が降ったときに、タイムリーに傘を売れば、多分売れたと思います。商売の基本です。こんなことは、新宿のホームレスのおじさんだってやっています。
私は、この物語に出てくるおじさんになるくらいだったら、どことなく悪者として扱われている、金持ちの庄屋どんになりたい。
そう固く決意しました。
お金を稼ぐ事から、逃げない。向き合う。
そんなお題で、これからこのブログの記事を書いていこうと思います。